Posted on December 11, 2023
この日記の一番下のところに、先週・来週分へのリンクを追加した。そのついでに自分の日記を読み返してみたのだけれど、日が経つごとに文章が短くなっていくのがわかっておかしくなってしまった。プライベートで書いている日記もそうで、だんだんと短くなっていくのだけれど、あまりよい癖ではやっぱりないとは思う。思うものの、じゃあ長く書くようにトレーニングしましょうという気持ちにもあまりならないので、このままなのかなと思ったり。今日ぐらいは少し長めに書くか。
日記にタイトルをつけることの白々しさみたいなのがあると思う。私の週報は行ったライブの名前ぐらいは書いてある(検索する人のため)のだが、それ以外にタイトルをつけることが若干ためらっているところがあると思う。しゃらくさいというのもあるとは思うのだが、それ以上に自分の生活をセンセーショナルにしているのではないかみたいな意識が働いてしまう。あと、読み返すとき、タイトルを見てそこから印象が蘇ってしまうのが嫌なのかもしれない。せっかく文章を書いているのだから、その文章そのものから思い出したい。だからタイトルはわからないぐらいのほうがいいのかもしれない。
チバユウスケが死んだのが堪えていた一週間だった。会社の昼休みにニュースをみて、そこからずっと降りれなかった。バドワイザーを二杯飲んで目が覚めてから受けいれることはできたけど、未だにそれがどういうことなのかわかっていない。
思うと、自分の中の「格好いい」の明確な基準だったと思う。どれだけの時間を過ごしても自分がたどり着けない言葉にたどり着いていることが羨ましかった。今思えばそれは元から手にしたものではなく、掴んでいたものだったのだけれど、そうは思わせない圧倒的なカリスマと、その中で垣間見える人間臭さがたまらない人だった。彼の影響でドクターマーチンを買ったし、バドワイザーも飲むようになった。彼が「でも俺は歌わなきゃ」って歌ったから、俺も進まなければいけないような気がしていた。ステージで見た彼は本当に格好良かった。トランペットの一言目に貫かれた瞬間のことをまだ覚えてる。
The Birthday が好きだったのだ。ミッシェルのことは知らなかった。後から知って、もちろん好きになったけど、The Birthday が好きだった。新しくなってもなお格好良くなっていく彼らの新しいアルバムを楽しみにしていた。CORE 4 を出したときに、そうか、と勘違いしていしまいそうになった自分を、月夜の残響.ep は笑ってくれたのだった。まだここから先に行けると思ってたし、誰もがそう思っていたのだろう。そういうことを考えると、たまらなく悲しくなる。
正直に言えば、永遠であってほしかった。『推しは推せるときに推せ』とかいうしょうもない言葉にブチギレそうになったぐらいにはやられていた。もうしばらく時間が経って、それでもまだ武道館の映像は見れていない。
生活。コートを買いたくて街をうろついているのだけど、前述の通りやられているので何を見てもピンとこない。少し赤っぽいコートを探しているのだけど、なかなかいいのが見つからない。今週末には寒くなるみたいなので、今週末見つからなかったら諦めるかなぁ。大阪で探してみようと思う。
全体的に暮らしの中で上手に息ができないことが多くなっているようにも感じる。冬だからなのか、しかし八月ぐらいからずっとそう。今までは笑っていた人生の不安のようなものにかなり思考を取られている。でも負けたくはない。
あとは津村記久子の「枕元の本棚」を読んでる。これがめちゃくちゃにいい。寺山修司を履修しようと思って本屋にあって隣にあったから買ったぐらいなのだが、非常に当たりで嬉しい。津村記久子の文体と、面白い本の小説で良くならないわけがない。こういうことがあると嬉しくなるね。
お前が 生まれて 良かった 光を その時 見た